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結局のところ「人生百年時代」は、幸せの議論にたどりつきます

鈴木 一之

2019/02/06 07:56

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いまや「健康で長生き」がすべての日本国民の合い言葉となっています。人生百年時代です。

健康は、身体上のすこやかな暮らしからもたらされますが、できれば精神上でも同じように健康でありたいものです。それには人生において楽しいこと、うれしいことをたくさん見つけることが肝心です。幸せ探しですね。

日々のなにげない暮らしの中から、楽しいことやうれしいことを見つけてくることが本当に得意な人がいます。私の身近な知人の例を挙げると、よく晴れて空が青くて洗濯物がよく乾くというだけで、実に幸せそうにしている女性がいます。彼女は仕事を持っていて毎日忙しく過ごしているのですが、日々の生活のなにげないところから上手に幸せの種子を見つけ出してきます。

その反対の例では、周囲がうらやむほどの豪邸に暮らしていて、お手伝いさんが何人も働いていて、何ひとつ不自由のない暮らしをしているように見えて、私は貧乏くじを引いたと嘆いてばかりいる女性もいます。この人に何があれば幸せと感じるのかと尋ねてみると、あなたのような暮らしがしたいと言います。ごくありふれた、平凡な人生に心からあこがれを抱いているようです。

幸せをみつけたり心の健康を維持したりするのは、ある種の才能が必要ではないかと思います。才能でなければ、訓練と言ってもよいかもしれません。「足るを知る」と言ってしまえばそれまでですが、手に入らないものを望み過ぎると幸せはどんどん遠のいていくようです。

大きなことを成し遂げるには大望がなくてはなりません。株式市場では第2、第3のアップルやグーグルの出現を待ち望んでいます。その一方で、幸せの近道は身の回りの小さなことを見つめることが肝要です。極大と極小。この両者は両立しにくいのでしょうか。

何をもって幸せとみなすかは人それぞれです。なごやかな人間関係があれば穏やかな暮らしが過ごせるという方もいるでしょう。しかし中にはそれを望んでも豊かな人間関係を得られない人もいます。幸せの定義はむずかしいものですが、決してどこか遠いところにあるのではなく、ごく身近なところにたたずんでいることだけは間違いありません。

「健康で長生き」の議論を始めると、決まって幸福論にたどりついてしまいます。宗教を抜きに幸せを語るのはかなりむずかしく、思えば深遠なテーマでもあります。若い方もまだまだ遠い将来のお話、などと悠長にかまえてはいらないようですね。
(スズカズ)