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ブログ:Onevoice

小川 真由美 の投稿

『平成の怪物 松坂大輔引退』
今週大きく取り上げられたニュースです。

西武から、大リーグに渡り、ソフトバンク、中日、そしてまた西武でプロを引退。
日米通算170勝。
『松坂世代』という言葉も含めて歴史を作った選手がついに引退となりました。

残念ながら彼の全盛期にまだ野球を見ていなかった私は、
彼がどんなに偉大な選手だったのか、
本当に実感したのは今回の引退セレモニーだったように思います。

一般ニュースでも大きく大きく取り上げられ、
彼の大リーグの移籍金を基に建て替えられたという西武ドーム(現メットライフドーム)周辺は
その日、松坂一色。
西武球場前駅には、この日限定で松坂の背番号にちなんだ『18番線』が設けられ、
そこには、松坂と、
自身の200勝記念ボールを呈して(呈したわけではなかったという裏話もラジオで聞きましたが・笑)
松坂をライオンズにいざなった東尾修さんの姿が並んだ列車が停車。

『松坂』の名前の入ったユニフォーム、応援タオル、グッズなどを手にしているファンも多数。
松坂が西武でプレーしていたのは1999~2006年ですが、
それ以降も大切にしていたと思われるグッズがここで日の目を見ることになりました。
最後にまたライオンズでユニフォームを脱ぐことになって良かったなぁ・・・。

球場では松坂が姿を見せただけでどよめきと拍手が起こり、
ライオンズファンはもちろん、この日の対戦相手である日本ハムのファンも大興奮。

厳かなプレイボールの声。
静まり返った球場。
先発マウンドから、横浜高校の後輩である近藤健介選手へ投げた5球は
渾身のMAX118キロ。
結果フォアボールになりましたが、最後は温かい拍手が沸き上がりました。

「正直、プロとして投げていい状態ではない」
「納得できるボールを最後に投げたのは2008年くらい」
「ファンの前でもうこれ以上ダメな姿を見せたくなかったけど、
ユニフォーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいという声に背中を押された。」
(要約)

引退会見の言葉の端々に、とてつもない苦悩が見て取れました。

現在のプロ野球選手には、彼に憧れて野球を始めた人も沢山いて、
プロの選手だけじゃないですね、きっと、多くの野球少年たちの憧れの的だったでしょう。
そんな憧れの視線に包まれながら、
怪我と戦い、思うようなボールが投げられなくなってもいつかまたとトレーニングを続け、
そしてついに引退を決意したこと。
ヒーローであるゆえの苦悩を知りました。

伝説の甲子園の投球から、プロとして23年。
心からお疲れ様でした。
今後の人生を応援します。

さて。
この日私は、取材でもなんでもなく、
いちライオンズファンとして試合を観戦しました。
もう完全にラッキーとしか言いようがなく、
月に一度ペースで共に観戦していた日本ハムファンのお仲間たちと、ずいぶん前にたまたま決めた日程でした。
「今季は共に厳しいシーズンだけど、最後にもう一度見に行こうか。
10月19と20、どっちにする?」
「水曜だと翌朝前場でキツイので、火曜にしましょうよぉ」
一番の若輩者にもかかわらず19日を主張し、
何気なく決めた観戦日程がたまたまこの日に当たりました。
言ってみれば消化試合的で(失礼)あまり人気のなかったであろうチケットが、
発表と共に即完売、全く手に入らないものになってしまうという・・・
「真由美!でかした!!」
先輩たちから大いに褒められました。
ただ、ストックボイスのお陰です(笑)

そんなこんなで、
野球ファンとして、歴史的瞬間に立ち会えて光栄でした。感謝します。

そしてこの松坂投手引退登板の日、
私の腰が生まれて初めてグキッと言いました。
禍福は糾えるなんとから・・・このお話はまた今度。


どんな時も必ず更新しようと思っていたブログを先週うっかり休んでしまいました。
ただ単に、ネタを練っている間にタイミングを逃してしまっただけなのですが、
自分に課しているのにずる休みはいかん、と反省し、
今週は2週分書くことに。誰にも頼まれてないけども。

「エールの交換だよ」
そんな台詞と共に、先輩が嬉しいギフトをくれました。
去年私が差し上げた実家の唐辛子の種を採って自家菜園で育て、
2代目を作ったのだそうです。
名付けて『修善寺唐辛子』
美しい唐辛子、何よりも気持ちが嬉しくて今、我が家のインテリアとしてドライにしつつ、
時々ここから“収穫”して料理に使っています。
ホントだ、辛い!
自家菜園の写真と共に、
お花の種と自家製ゴーヤーも頂いて、
早速今年最後のゴーヤーの佃煮を煮て、今、熱燗と共に大事に大事に頂いています。

同僚と食事をする機会もなくなってしまった昨今、
こんな交流嬉しいなぁ。
心温まったエールの交換でした。

昨夜の地震は驚きましたね。
東日本大震災で被害を受けて以降、地震対策は万全にしていたつもりの我が家でしたが、
高いところに積んでいた籐の籠などが落ちてきました。
備蓄食料も確認したところ期限切れのものがチラホラ。
缶詰などは期限を超えても問題ないと考えますが、
改めて内容を見直しました。
今後の余震に気を付けましょう。

さて、このごろ驚いたのは、街を歩いていて鼻がとらえた香りです。
金木犀。
あれ?また?
と思ったのが率直なところ。
夏の終わりに金木犀の香りを嗅いで今年はずいぶん早いな・・・もう秋か
と思った。思ったよね?あれ今年よね?
困った時のGoogle先生に聞くと
「金木犀 二度目 なぜ」
検索している人が大勢いました。

曰く
・二度咲きするのは珍しいことではない
・が、それほど頻繁にはない(それを珍しいというのでは?)
・地球温暖化の表れではないか

ということ。
興味の向くままあれこれ検索してみたら金木犀に関する面白い情報が沢山出てきました。

・日本に生息している金木犀は江戸時代に中国から輸入された一本の木のクローンである・・・という説がある
・木には雄雌あるのだが、日本にはそのうち雄の木しか生息していない・・・という説
・よって実を付けることはない・・・らしい
・『金木犀』という名は、花の形が動物の犀(サイ)に似ているから・・・という説

色々なサイトを見てみましたが、一様に金木犀に関してはいまだ謎が多いとのこと。
その他、確定要素としては、モクセイには“金”以外にも色々な種類があり、
・白い花をつけるのは銀木犀
・ヒイラギモクセイ や ヒイラギ も同じ仲間
・金木犀よりも古くから日本に生息していたのは薄黄(ウスギ)木犀 
・静岡の三島大社にある老巨木の薄黄木犀は一年に二度花をつけることで知られる

などなどなど。
面白い、面白いぞ、金木犀。
ざっとこんな情報が出てきました。
しかし何でもネットで好奇心が満たされるとは便利な時代です。

さて、
秋の到来を香りで知らせてくれる金木犀。
あの香りを鼻が捉えるとキュンとするのは私だけでしょうか。
甘酸っぱく、でも数日で消えてしまう儚い香りが大好きです。
しかしながら二度目の金木犀には、あれ?という疑問だけで、
一度目の香りほどに心が動かなかった。
そんな自分が不思議でした。

日本人が桜を大好きなのは、きっとその儚く散る運命も理由の一つで、
年に二度咲いたらこれほどまでに愛されないのでは。
人は儚いものが好きなのだ。
今年二度目の金木犀に思ったことでした。

宣言解除

小川 真由美

2021/10/01 11:40

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日経夕刊の小説『ワンダーランド急行』を楽しみに読んでいる
と以前にも書いた気がしますが、
ある朝、つい出来心でいつもの通勤電車と違う方向の電車に乗って会社をさぼり、
トンネルをくぐって抜けたらそこは全く常識の違う別世界だった。
という現代の奇異小説。
元の世界に戻ろうと意を決してもう一度トンネルをくぐってみたら、
今度は奥さんさえも違う人になっていた・・・。
昔付き合っていた彼女と結婚。オレは彼女と生きる人生を選んだのか。
久しぶりに出社した会社も全く違う勢力構図に。
仕事の内容も全く覚えていない、いや自分の世界の常識とは全く変わっていて
記憶喪失扱いされるし、そんな周囲に合わせて忘れたフリをするしかない。
さあ、主人公はこの先どうなるのか。どうするのか。

緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が今日の深夜零時から一斉解除になって、
私の住む東京都でも、時間と店と人数に制限はあるものの
お店でお酒が飲めるようになりました。

え?家の外で飲んでもいいの?

もう30年近く“大人をやってます”が、
たった1年半のうちに常識の軸が分からなくなりました。
県境をまたいで実家に帰ってもいいの?
家族に会いに行っても後ろ指さされないの?
友達とお酒飲みに行ってもいいの?
カラオケ?ああ、懐かしい響き。
そもそも宣言や措置の対象区域外では、ずっとこんな自由があったんだっけ?

なんだかね、ホントによく分からなくなっちゃったんです。
そもそも9月30日と10月1日では何が違うんだろうか。
もちろん今まで通り細心の注意を払って生活するけれども、
会社の備品を使う度にアルコール消毒したりしなくて済む日は、
アクリル板やマスクで人と人とを区切らなくていい日は、
いつかやって来るんだろうか。

例えは全く悪いですが、
ずっと綱で繋がれていた生き物が放たれた時、
自由にどこへでも行けるはずなのに、なんだか習性でその場に居留まってしまう気分。

そろりそろり
最初の一歩はどうやって踏み出そうか。
夜の街で待望の生ビールを、友人たちと飲みたい気持ちと
(※1テーブル4人以内。酒類提供20時まで。21時閉店。)
外に出るのがまだちょっと怖い気持ち。
制限付きの自由を謳歌したい“花金”ですが、
首都圏は風雨が強まっています。
ここはひとつ冷静に。
昨日までと同じようにおとなしく家に帰って一晩考えることにします。

放送業界の習いで、テレビ&ラジオ界は“ナイターイン編成”が今週で終了。
来週からは“ナイターオフ編成”に切り替わります。

ラジオのナイター中継の私の担当も今週で終了。
必死で野球の勉強を始めてから5年目のシーズンは、
応援チームのけが人続出から始まってなかなか思うような結果が出ておらず、
苦しい時期を過ごしてきました。

ウキウキワクワク臨んでいた中継も、
負けがかさんでくるとどうやって盛り上げていこうか、
なんとか前向きな情報を探しては伝えてきました。

中継に臨む前、必ず食べて活力にしていたのがお弁当です。
中継後の帰宅は22時を超えるため、
翌日のストボ後場や前場のことを考えると夕食は17時に済ませるのが常でした。
自分で作ってもお弁当ってなんだか嬉しくて
好きなものばかり詰められる『大人弁当』なのでなおさら。
仕事の準備の合間に作るので、
ご飯を炊いて作り置きのおかずを詰めるぐらいしかできませんでしたが
お弁当ぐらいでしか食べる機会のない卵焼きの練習をしてみたり、
懐かしの海苔弁を作ってみたり、
色々楽しんで半年間作り続けました。

どうしても起きられない日、
創作意欲が沸かない日、
1人分を週に2回だけでも面倒に感じる日があったのに、
母は、父と子供3人分のお弁当を何十年にも渡ってよく作り続けてくれたな・・・
改めて感謝しました。
お弁当箱を出すのを忘れてよく怒られたし、
父なんて何日か連続で職場にお弁当箱を忘れてきたペナルティで、
私のピンクのウサギちゃんのお弁当箱を持たされていたのを見て
お母さん、やるなぁと思った記憶があります。
育ち盛りの頃はかなりの大きなお弁当箱に詰めてくれていましたし、
好き嫌いの多かった私には色々苦労したでしょう。
遠足の日は手焼きのパンだったり、
サンドイッチやお砂糖を入れた温かい紅茶の水筒を持たせてくれたり、
母のお弁当は、すべて手作りの、思えば美味しいお弁当でした。
箸を持ってやってくる同級生によく狙われたっけ。
なのに、
茶色いおかずばっかり!
煮物ばっかりじゃなくて、たまには冷凍食品のフライでも入れてくれなんて
罰当たりな発言をした記憶もあります。
ごめん。

おそらく父も私たちも毎日のお弁当を当たり前と思って
ろくにありがとうも言わなかった気がします。
東京ガスのCMのように、改めてお弁当ありがとうって言ってみようかな。


さて、野球の方は、我がチーム残り25試合。
まだまだ諦めていませんので、
ナイター中継が終わっても引き続き応援を続けますよ。