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ブログ:Onevoice

鈴木 一之 の投稿

証券市場とかかわるようになったのは、私の場合、1980年代の前半です。いわゆるバブルが始まる前の時代です。その頃に證券会社に入社しました。

ストックボイスの中にはそういう人が多いのです。この世代の人々はここ数年、続々と定年退職を迎えていて、いわば証券市場の生き字引のような形の人が兜町周辺には少なくなっています。そうなると今やそこに存在しているだけで、貴重な存在になってきたような気がします。私自身が生き字引と呼ばれる日も、そう遠いものではないような気もします。

バブルの頃と今とでは何が違っているのですか、と尋ねられることがよくあります。当時はペットボトルはなかった、コンビニもあまりなかった、出社前に朝ごはんを食べるのは駅前の立ち食いそばで決まりだった、駅にも自動改札は存在しなかった、定期券は紙だった、物価は高かった、羽田~伊丹の航空運賃は5万円だった、土曜日は仕事だった、大納会は12月28日だった、と数え上げたらきりがありません。

でも当時と今とで一番変わったことは、やはりインターネットの存在です。調べものは図書館に行くか、自宅の百科事典を見るか、新聞をスクラップしておくか、くらいしかありませんでした。今ではスマホで道ばたでも電車の中でも、立ったまま調べられます。

たとえば、今週月曜日の朝いちばんに発表された日銀短観。80年代はもちろん、90年代も発表時間になると各社の若手エコノミストたちが日銀の窓口に並んで受け取ってました。それを1人1部ずつありがたくいただいて、会社に持ち帰ってみんなで見てました。

今は自宅のパソコンで8時50分の定刻ジャストに、誰でも閲覧できます。その場で印刷もできます。ネットの普及が進んだ2000年代でも中ごろまでは、日銀のHPにアクセスが殺到して定刻直後は閲覧できませんでした。

それが今では。。閲覧は瞬時にできます。データも簡単にダウンロードでき、エクセルがあれば自分なりの資料を作るのも簡単です。同じ作業を行うにしても、それに費やす時間と手間は格段に向上しています。したがって生産性は飛躍的に上がっています。

技術が進歩するスピードは加速しており、新しいサービスで利便性が高まるのにかつては年単位で変わったものが、今では数か月単位で同じくらいに進歩します。世の中がすべてその加速度で等しく動くようになっているので、マーケットの変化が速いのも無理はありません。追いかけることはたいへんですが、生き字引を大切に接する世の中であってほしいものだなといつも思います。
(スズカズ)
水曜日は始発電車に乗って、午前6時の東京駅に到着します。ちょうど同じタイミングで名古屋からの深夜バスが着く時間なので、大きなキャスターを転がした観光客の人が周囲に大勢います。あと30分待たないとスタバはオープンしません。

通勤電車の中ではもちろん日経新聞を読みますが、最近は車中で新聞紙を開く人がめっきりと減ったので、私も恥ずかしくてもっぱらスマホで電子版の新聞を読みます。便利このうえないのですが、ところがこれは非常に目が疲れます。

1時間近くも揺れる車中でスマホ画面に見入っているので、降りるころには目がしょぼしょぼして仕方ありません。そこですっきりシャキッとしたいので、目薬を買うことにしました。

朝6時に目薬を買うのは至難の業ですが、東京駅前には24時間営業のドラッグストア「ウエルシア」(イオン系)があります。さっそくそこに駆け込んで、ライオンの目薬「スマイル」(Tポイントのボーナス100ポイント付き)を、エディの支払いで「シャリーン」と買います。Suicaでも支払いはできるのですが、エディの方が有利かなとなぜかこの時は思いました。

「GAFA」の作り上げたデータエコノミーの世界に、個人情報が吸い寄せられています。ごく普通に生活しているだけで、何を買ったか、どこに立ち寄ったか、旅行の計画はどこか、実際の行動履歴どころか、何を企画してるのかまで確実に把握されています。

大規模な市民デモが続いてる香港では、当局に行動履歴を追跡されないようにと、デモ参加者は集会に向かうのにICカードではなく、わざわざ自動販売機で切符を購入して乗るそうです。「わざわざ切符を買う」というところが電脳都市・香港らしくて驚きます。

1年前は「デス・バイ・アマゾン」との言葉がはやりました。アマゾン・ドットコムに市場を狙われたらもうおしまい、撤退しか残されていないという用法でした。

あれからほぼ1年が経ち「アマゾンによる死」との言い回しはさすがに古くなったようですが、しかし社会におけるデータエコノミーの趨勢はとどまるところを知りません。早朝に目薬を買うだけでどれほどの個人情報を提供しているのか、自分自身があきれてしまいます。

そして肝心な点は、米国でウォルマートの株価が史上最高値を更新し続けている点です。法規制の対象となってアマゾンがもたつく間に、ウォルマートの躍進が光ります。この辺にアメリカの株式市場の奥深いところをかいま見るように思います。そうですよね、川田さん。
(スズカズ)


「はだかの王様」の童話を地で行くような光景が目の前で繰り広げられています。老後に自助努力で2000万円を貯める必要があるという、例のごく最近の話題です。

日本国民は老いも若きも、ある年の世代から下は年金だけではとてもやっていけないということなど、とっくのとうに知っています。日本の年金制度はもはや長期的には維持不能であるという事実は、言われないでも充分にわかっています。「王様ははだかだ」と事実を事実として述べただけのことです。

そんなどうしようもない制度設計を、税金の使い方を正しくするのが政治や行政の仕事ではないのでしょうか。小学生の作文みたいですみません。

人生100年時代、年金がきわめて重大な問題ではあることは疑う余地はありません。最後のセーフティネットです。それは十分にわかった上で、しかしそれを野党が騒ぎ立てている姿が視覚の片隅に入ってくるととたんに気持ちが落ち着かなくなります。

夏の選挙を意識したパフォーマンスなのでしょうが、それだったら野党に一刻も早く代案を出してくれとお願いしたくなります。

年金問題の本質的な責任は、長年にわたって問題を放置、棚上げしてきた自民党と官僚にあります。しかし旧・民主党時代の2009~2012年、今の野党が政権与党の座にあった時代に、果たしてどれほど成果をあげられたのでしょうか。日本国民はこの時、政治改革に心の底から期待を寄せました。

それが最初の1年もたたないうちに垂直降下の失望に変わりました。東日本大震災と原発事故のあとは絶望感しかありませんでした。年金問題を含めてわずか3年で政権の座を追われた野党の自滅の本質が、年金を含めた政策担当能力の絶無にあったのは間違いありません。

フィナンシャルプランナーに専門的に聞くまでもなく、老後に準備する年金の不足額は2000万円ではまだ足りず、さらにもう少し必要です。だからこそ若い世代を含めて、日本国民は消費を抑えて貯蓄に励むのです。消費税は10%は当然として、そこからさらに引き上げられるかどうかが今後の焦点となります。

人生の悩みごとは、突き詰めれば「おカネ」と「人間関係」のふたつだけだと言われます。「老後の2000万円問題」は、日本人にとって人生を賭けて取り組む究極の課題として、じつに見事な集約の仕方だと変に感心いたします。
(スズカズ)


私がまだ小学~中学生だったころ。世の中のことをよくわかっていない子ども時代のことです。日曜日の朝食の席で父から世間の一般常識のあれこれをずいぶん教えられました。そういうことを子どもたちに教えるのが好きな父でした。

その際に繰り返し言われたことのひとつが、「その場にいる全員が参加できないような話題は自分からは提供しないこと」でした。その場の会合に4人がいるとして、そのうちの3人だけが会話できる話を持ち出すと、残った1人は話に加われないのでそれを避けるように、ということです。

このルールが正しいことなのかどうかはよくわかりません。しかしそう教わってきたために、そのような教えはのちのちまで私の生き方というか、日々の暮らしの過ごし方をずいぶんと広く規定してきたように思います。ほとんどすべての領域にわたると言ってもよいかもしれません。

話題の出し方はかなり制約がかかりましたし、それ以上に自分よりも自分以外の人の話題に意識が向くようになりました。

そういう部分を意識して話題を提供している人、無意識のうちにそういうルールを身にまとっている人、あるいはまったく意識していない人。本当に人はそれぞれなのだなあ、と年齢を重ねるにしたがってより強く考えさせられました。

人が生きていくうえでの悩みごとは、おカネにまつわることと人間関係の2点だけに集約されるとされています。親兄弟を含めて人間関係は会話を中心に築いてゆきます。その会話のきっかけをどのように始めてゆくのか。この部分は今も試行錯誤が続いています。おそらく死ぬまで続けることになりそうです。

雨が降って川に流れ込み、大河となって海にそそぐ、その最初の一滴が小さな雨だれの水玉です。人間の営みの最初のきっかけはどのように会話を始めるのか。大河につながる雨だれの一滴は、まさに自ら発する言葉の発語なのですね。
(スズカズ)
世界を揺るがせた天安門事件から、もう30年が過ぎたのですね。その事実を感無量の思いで迎えています。

1989年に起きた天安門事件は、人民解放軍が中国の人民に発砲するという前代未聞の出来事でした。リアルタイムで入ってくる深夜のテレビ画面の映像にくぎづけとなったことを覚えています。

戦車部隊が戦場ではなく北京のど真ん中、真夜中の天安門広場に列をなして整然と入ってくる光景は、どこの国の出来事なのか、何が起きているのか、にわかにはわかりませんでした。

事件が起こる1か月ほど前から、天安門広場には続々と中国各地から多数の人々が集まっていました。今から振り返ればこの時の大衆運動を「民主化を求める集会」と一言で形容してしまいますが、当時も今も中国は内部の権力闘争が複雑で、表に出てくる情報も少なく、どのような意味を持つ集会なのか私たちにはわかりにくいものでした。

日本はバブル経済の絶頂でしたが、それも後世のあと知恵で「バブルのピーク」と言われるだけで、その渦中にいる間はわからないものです。この時期の中国は経済危機に近いほどの景気低迷に見舞われ、それに抗議する農民や学生、工場労働者が集結していると日本では報道されていたように記憶しています。

それが突然、軍隊の投入、人民に向けての発砲です。国際世論はすぐさま反発し、国連を中心に中国に対して経済制裁を発動しました。中国は再び歴史の枠外に置かれたのです。

その後、90年代後半に中国が西側世界に再びすり寄ってきた時も、まだ先進国は懐疑的でした。WTO加盟に成功して2000年以降に目をみはるような経済発展を遂げるようになっても、どこか中国には完全なる信頼を寄せきれない思いがした背後には、やはり天安門事件の記憶がそのまま残っていたからだと思います。

思い返せば、この事件から世界は激動の時代に突入しました。1989年の東欧諸国の動乱に始まり、ベルリンの壁崩壊、ソ連解体、湾岸戦争。そして「9.11」を機に世界で頻発するテロ事件。

天安門事件のころには影も形もなかったインターネットは、その後急速に普及して、映像はリアルタイムで拡散するようになりました。ツイッターやブログによって、事件の背景説明やオピニオンも瞬時に手に入ります。

いま中国の動静に世界の目は再びくぎづけとなっています。この30年間で中国の社会が大きく変貌を遂げたのは事実ですが、しかしまったう変わっていない部分も確実に存在しています。チベット問題、ウイグル問題も含めて、「ふたつの中国」のうちの変わらない部分こそが中国に関しては今の今は重要なのでしょう。
(スズカズ)