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ブログ:Onevoice

中嶋 健吉 の投稿

昨年11月25日、当ブログで「バブル相場はこうして作られた」として、株式需給面から1989年末までのバブル相場を検証しました。 今回は何故バブル相場が生まれたのか、その背景を自分なりに探ってみたいともいます。 

【1985年9月22日プラザ合意 ドル安・円高を容認】
 当時の円/ドル      250円近辺
 12月末         200円を切る
 1987年末        120円台に

【円高不況と輸出不振を恐れた政府は大規模金融緩和を決定】
  • 1986年1月30日
    公定歩合5%を0.5%切り下げ4.5%に。
    更に3月、4月、11月と連続切り下げ。
  • 1987年2月
    2.5%まで引き下げ
【更に1987年5月緊急経済対策を決定】
  • 5兆円の財政支出
  • 1兆円の所得減税
【しかし景気は1986年1月にすでに底を打っていた】
 円高により外需はマイナス▼1.4%落ち込み
 円高により内需はプラス△4.1拡大

  • 円高により輸入物価が下がり、交易条件が1986年に40.3%向上。
  • これは実質所得が増えたに等しい。
  • 更に原油価格が30ドルから9.5ドルに1/3に下落
景気が既に底を打てるのに、屋上屋を重ねる景気対策が未曽有の金余りを生みバブルに至るのです。そしてバブル崩壊。 

1990年に入りバブル崩壊後の景気維持のため、政府は毎年大きな経済対策を打ちます。 更に1995年の阪神淡路大震災復興支援で、対策規模を拡大します。  名目GDPは1990年の453兆円から1997年には534兆円まで拡大します。 景気が立ち直ったと誤解した政府は、景気は回復途上との周囲の反対を押し切り消費税の引き上げを決定します。 景気回復は頭を打ち、名目GDPはそれ以降20年近く500兆~530兆円の間を漂います。 暗黒の20年の始まりです。

3万円乗せの株式市場は、コロナ禍を契機に新たな景気拡大路線に入ったと感じています。 暗黒の20年からの脱却に、コロナ問題は大規模な景気対策の合理的な口実を与えてくれています。
(中嶋)
求職活動の本番を迎え、学生にとっての企業選びは頭の痛い問題です。最大の関心事の給与、厚生制度などの情報はネット、先輩諸氏などから収集可能ですがその会社の成長性の判断はどうでしょうか?

就職情報会社の調査によると、就活に入った2022年卒業予定の学生に最も人気のある業種は第一位に「情報・インターネットサービス」。第二位は「情報処理・ソフトウェアー・ゲームソフト」になっています。 ビッグ・データー、AI、IOT、5G、6G等、確かに直感的に大きな可能性と成長を予感させる言葉が並びます。 しかしこうした斬新な言葉も、普及してしまえば身の回りの何処にでもある単なる道具になり、それ以降は新規参入者とのコスト競争が待ち受ける厳しい時代を覚悟する必要があります。

私個人の話になります。1970年に山一証券に入社しました。外語大学卒なのでよく、何故商社じゃないの?と聞かれたものです。縁があったとしか言えませんが、そのあたりの顛末はいずれ。就職に絡み思い出すことが有ります。
就職課長が面白い企業があると、教えてくれたのが警備保障会社でした。小さい企業ながら将来の成長にかけ、大卒を初めて求人しているとの事です。丁度その当時TVでは、「ザ・ガードマン」という番組が人気を博しており、要人警護には身を挺してもと叫んでいたものです。知識としてはその程度しかなく、外語大への求人も外国要人の警護スタッフを探しているのかと思い、身を挺する気持ちはないと、結局面接も受けませんでした。後から聞いた話では、将来の幹部候補生として、企画立案等、内勤の人材を探していたとの事でした。この会社はその後上場を果たし、日本を代表する警備保障会社になっているのです。警備保障業務が今のように多岐にわたるとは、その当時想像した人がいたでしょうか?

戦後直ぐの時代、学生に一番人気があった業種は砂糖。石炭業界と聞いています。世間が必要とする品目を提供していたからで、旧帝国大卒の精鋭が多く入社しています。しかしブームも長くは続きませんでした。

高校時代の親友は京都の有名国立大学の機械科を卒業、大手商社に入社、造船機械部門に配属されました。造船は当時日本を代表する主力産業で、さすが彼だと喜んだものです。しかしその後の流れはご存じの通りです。彼はその部門で頑張りましたが、商社としての本流ではありませんでした。山一の金融法人時代、生保業界の運用者と幅広く付き合いました。その運用者に造船業界の転職組が多いのに驚いた記憶があります。当時はバブル崩壊後の厳しい時代で証券業界にも冷たい風が吹いていました。そうした話をしたところ、その転職組の部長から「厳しいとは20万人近い就業者が、ほんの数万人になることだ」と叱責され、大いに反省したものです。

結局就活は、一見華やかに見える今様の業種に目を奪われずに、何をしたいかを基準に選ぶべきなのでしょう。じっくりと実力を養い、来るべき時代の変化を予感できる想像力をつけるべきでしょう。私の時代と違い、転職は自由な時代です。このコーナーでも指摘した様に、ジョブ型雇用も定着しつつあります。
良い時代の到来です。
(中嶋)
この二つには共通点があります。 昨年11月に10年間の時限立法ながら、この二業種は独占禁止法の適用除外になったのです。 つまり経営統合の結果、当該地域での市場占有率が高くなっても統合が認められるのです。

地銀は菅首相が指摘する様にその数の多さ、及び経営効率の悪さが問題になっていました。 1990年に135行の地銀の数は、103行に減少しただけです。
一方信託銀行を含め25行あった大手都銀は、11行に半分以下になっているのです。 地銀は一国一城の主として地域金融を独占、地域の下位の金融機関を買収してはその独占度が高まる為、認められなかった経過があります。 その為経営統合は他県の地銀がその対象となる為、統合が進まなかったようですが、それぞれが持つプライドの高さも阻害要因の一つです。 大都市集中、過疎化の流れもあり、地銀の内7割近くが減益もしくは赤字経営に陥っています。

お笑いタレントが主導する旅番組が有ります。 路線バスを乗り継ぎ目的地に向かうのですが、番組として成立するのは、たどり着くのに苦労するか面白さが有るからです。 同じ県内でもバス会社が違うとバス停も違い、また県外まで行くバスが殆どないためドタバタする訳です。 県ごとにバス会社が有り、相互乗り入れしている会社が少ないのです。 地域内でも乗降客の多い路線には各社が集中する為、過当競争になり経営が悪化、その為過疎地域のバスサービスが疎かになる悪循環です。 効率経営とは縁遠く、殆どが赤字経営です。 地域内での効率よい業務統合、他県をまたぐ広域営業の拡大が必要です。 地域内、地域外の合従連衡が待たれます。

かってスイスでバスを乗り継いで山奥入った時、驚いた経験があります。 バスには郵便局のロゴがあり、車内には郵便物以外の日用雑貨の配送物が多く積まれています。 バスサービス、郵便配達、そして宅急便とすべてのサービスが効率よく融合しているのです。

今回のコロナ問題はこうした地銀、路線バスの経営者に待ったなしの決断を迫りそうです。 むしろコロナを口実に経営者は効率経営に舵を切りやすくなるのかもしれません。 脱炭素、脱ハンコ、デジタル化、ESG等新しい目標が並びますが、地銀、路線バスに突破口を期待したいものです。
(中嶋)
年功序列、終身雇用、新卒一括採用、社内教育システム等は、日本型雇用形態の中心を構成するものです。 意にそぐわない転勤でも社員が受け入れるのは、終身雇用が約束されているからだとの意見はそれなりに説得力があります。 こうしたシステムを一括管理するのは人事部、およびそこから分派した研修部になります。 人事部には上司の部下に対する評価表が集められ、昇進、ボーナス査定など会社全体のバランスを考えた配分を考えるのも重要な仕事です。  社員の評価、またその評価を付けた上司の考え方、哲学、人となりが分かる為、人事部は会社でも一目置かれる存在です。 人事部は会社全体を俯瞰するため、どうしてもバランスという発想が根本にあり、大きな成果を上げた部署、個人に対する報償はその会社で一番上のランクとしても限定的と言われます。 かって所属していた証券会社が、あのNTTドコモの上場主幹事を獲得したのですが、その成果は有る営業マンの力によるものと衆目の一致した見方でした。 たまたまその営業マンと親しかったので報償の額を聞いたところ、最上位のボーナス評価だけだとの返事でした。 当然スペシャルボーナスが出ていると思っていただけに、非常に驚いた記憶があります。

日本が発展期にあり、全員が達成すべき目標を共有していた時代には、こうしたバランス重視の考えは組織を維持し動かす為に有益だったかもしれません。 しかし社会が多様な価値観をもち、企業がその価値観に対応しビジネスを展開するためには職務ごとに最適な人材を配置する、「ジョブ型雇用」が必要になります。 年齢、入社年次にとらわれず、その職務に適任で成果を期待できる有能な社員を配置することです。 その社員の能力査定には極めて専門性の高いスキルが必要となる為、その人材を必要とする当該部署の責任者が中心になって進めることになります。 報酬もまず当該部署の利益をベースに配分を考えることになります。 その為部署により報酬格差が出ることは仕方ありません。 経団連が導入を急いでいる、「ジョブ型雇用」の普及には、少ない報酬格差に慣れた社員の意識改革がまず必要になるのでしょう。

こうした「ジョブ型雇用」は、20年以上も前に拠点長を務めたロンドン現法では当たり前でした。 採用、解雇、年俸・ボーナス査定は全て部門長が行いました。 人事部の仕事は社員の年金、健康保険、出勤簿等の管理が中心で、業務の成果の査定に関ることは一切ありません。 またこうした業務は外注も可能なため人事部の存在そのものも議論の対象になりそうです。 個人的には日本型雇用を全否定するものではありません。
今こそ有るべき日本独自の人事評価体系が無いものか、人事のプロにお聞きしたいのですが??
(中嶋)
電気自動車に関る報道が続いています。ここ数日でもアップル、中国ネット検索大手百度(バイドゥ)などが製造販売への進出を表明しています。テスラの成功が示すように、製造に於ける技術的なバリアが高くない、との認識が広まったのかもしれません。ガソリン車が約3万点の部品を必要とするのに対し、エンジンの要らないモーターで動く電気自動車は、部品点数がその半分で済むと言われています。ガソリン車はエンジン内で上下するピストン運動を回転運動に変える必要があり、其処に技術の要が有り、それに伴う部品数も多くなります。一方電気自動車は、モーターの創る円回転をそのまま動力として活用できるメリットがあります。エンジン回りの部品点数が少なく済み、その為異業種からの参入も難しくないのでしょう。

専修大学の鈴木教授の著書に興味ある指摘があります。1901年のニューヨーク自動車ショーには、エンジン自動車とともに鉛蓄電池を搭載した電気自動車、蒸気自動車が出店し、それぞれ違う3つの技術を競い合い、本命はまだ見えていなかったとか。しかしその後テキサスでの油田発見、自動車レースでのガソリン車の優位性などもありエンジン車優位が確立するのです。一方既に存在した電気自動車にとっては、電気供給のインフラがなかったことも劣後する原因の一つでした。

日本でも1917年、GSユアサ創業者の一人島津源蔵氏が2台の電気自動車「デトロイト号」を輸入しています。自ら開発した日本初の充電出来る鉛蓄電池を搭載し、一回の充電で40キロ走る事が出来た為、自ら通勤に使っていました(日経報道)。

トヨタも長い歴史をもっています。自動織機で成功したグループ創始者の豊田佐吉氏は、1925年に当時としては破格の懸賞金を付け、小型大容量の蓄電池の開発を公募しているのです。その後1939年に蓄電池研究所を設立、飛行機、自動車の動力源としての蓄電池の開発を始めているのです。現在トヨタの注力する全固体電池の開発に繋がっています。

歴史を振り返っても電気自動車に新規性は有りません。又参入も容易なことから、将来の成否を決めるのは自動車を作る事ではなく、作った車にどれだけの付加価値を創ることができるかにかかっています。その意味でアップルの参入は新しい自動車像に向けての第一歩になる可能性があり、戦国時代入りの予感を感じさせます。
(中嶋)